はじめに
「保管証書遺言」という言葉を聞いて、「法務局に預ける自筆証書遺言のこと?」と思われた方も多いかもしれません。
現在すでに利用されている制度として、「自筆証書遺言書保管制度」があります。これは、自分で手書きした自筆証書遺言を、法務局で保管してもらう制度です。
一方で、令和8年の民法等改正により、新たに創設されることになったのが「保管証書遺言」です。これは、いわゆる「デジタル遺言」と呼ばれることもある新しい遺言方式で、従来の自筆証書遺言とは大きく異なる点があります。
令和8年6月17日に「民法等の一部を改正する法律案」が参議院本会議で可決され、同年6月24日に公布、法律番号は令和8年法律第45号とされています。
改正内容には、保管証書遺言の創設、自筆証書遺言等における押印要件の廃止、死亡危急時遺言等における録音・録画方式の追加などが含まれています。
この記事では、京都で相続・遺言・生前対策を扱う司法書士の視点から、保管証書遺言とは何か、現在利用できる自筆証書遺言書保管制度と何が違うのか、そして遺言書を作成するときに注意すべきポイントをわかりやすく解説します。
保管証書遺言とは
保管証書遺言とは、令和8年改正により創設される新しい遺言の方式です。
参議院の議案要旨では、普通の方式の遺言として、「電磁的記録等により作成し、法務局で保管する保管証書遺言を創設する」と説明されています。
これまで、一般的によく利用されてきた遺言には、主に次の3つがありました。
- 自筆証書遺言
- 公正証書遺言
- 秘密証書遺言
自筆証書遺言は、自分で全文を書く必要があるため、費用を抑えやすい反面、形式不備や紛失、改ざん、発見されないリスクがありました。
公正証書遺言は、公証人が関与するため安全性が高い一方で、一定の費用や証人の準備が必要です。
今回創設される保管証書遺言は、これらとは別の新しい選択肢として位置づけられます。
パソコンなどを使って作成することが想定され、法務局で保管されることにより、遺言書の紛失・改ざん・未発見といった問題を減らすことが期待されています。
ただし、令和8年7月7日時点では、保管証書遺言はまだ実際に利用できる制度として始まっているわけではありません。法務省の公表資料では、遺言制度に関する改正のうち、押印の任意化等は公布の日から1年以内、システム改修を要する保管証書遺言の創設等は公布の日から3年以内の政令で定める日とされています。
つまり、「保管証書遺言が創設されることは決まったが、いつから、どのような手続で利用できるかは、今後の施行日や運用を確認する必要がある」という段階です。
自筆証書遺言書保管制度との違い
保管証書遺言と混同されやすい制度に、「自筆証書遺言書保管制度」があります。
自筆証書遺言書保管制度は、令和2年7月10日から全国の法務局で始まった制度です。
自分で作成した自筆証書遺言を、遺言者本人が法務局に持参し、法務局で保管してもらうことができます。
この制度を利用すると、遺言書の紛失や改ざんを防ぎやすくなり、相続開始後の家庭裁判所での検認手続も不要になります。法務省も、自筆証書遺言書保管制度について、保管された遺言書は家庭裁判所における検認が不要であることや、制度自体は遺言書の有効性を保証するものではないことを案内しています。
一方で、現在の自筆証書遺言書保管制度は、あくまで「自筆証書遺言」を法務局に預ける制度です。したがって、遺言書の本文は原則として遺言者本人が手書きする必要があります。
これに対し、保管証書遺言は、電磁的記録等により作成する新しい方式の遺言として位置づけられています。
つまり、単に「自筆証書遺言を法務局に預ける制度」ではなく、遺言の作成方法そのものにデジタル技術を取り入れる制度です。
整理すると、次のようになります。
| 項目 | 自筆証書遺言書保管制度 | 保管証書遺言 |
|---|---|---|
| 現在利用できるか | 利用可能 | 令和8年7月7日時点では施行前 |
| 遺言の方式 | 自筆証書遺言 | 新たに創設される普通方式の遺言 |
| 作成方法 | 本文は原則として本人が手書き | 電磁的記録等による作成が想定される |
| 保管場所 | 法務局 | 法務局 |
| 検認 | 不要 | 今後の制度運用を確認 |
| 注意点 | 内容の有効性までは保証されない | 施行日・手続の詳細確認が必要 |
保管証書遺言が注目される背景
近年、相続や遺言に関する相談は増えています。
高齢化が進み、単身世帯や子どものいない夫婦、再婚家庭、相続人が遠方に住んでいるケースなど、家族関係や財産関係は多様化しています。その一方で、遺言書を作成していなかったために、相続開始後に家族間で話し合いがまとまらないケースも少なくありません。
また、自筆証書遺言には、次のような問題があります。
・全文を手書きする負担が大きい
・日付や押印などの形式不備で無効になるおそれがある
・自宅で保管していると紛失する可能性がある
・相続人に発見されない可能性がある
・一部の相続人に破棄、隠匿、改ざんされるリスクがある
・内容が不明確だと、かえって相続トラブルになることがある
こうした問題を解消するため、すでに自筆証書遺言書保管制度が導入されています。しかし、自筆証書遺言である以上、「本文を自分で書く」という負担は残ります。
保管証書遺言は、デジタル技術を活用しながら、本人確認や法務局での保管を組み合わせることで、遺言をより利用しやすく、かつ安全なものにしようとする制度です。
日本司法書士会連合会も、令和8年6月17日の会長声明で、保管証書遺言について、遺言者による遺言書保管官の前での全文口述、遺言書保管官による形式的確認、法務局による保管等を通じて、真正性や真意性の確保に対応する制度である旨を述べています。
押印要件の廃止にも注意
今回の改正では、保管証書遺言の創設だけでなく、自筆証書遺言等における押印要件の廃止も大きなポイントです。
参議院の議案要旨では、「自筆証書遺言等における遺言者等の押印要件を廃止する」とされています。
これまで、自筆証書遺言は、遺言者が全文、日付、氏名を自書し、押印する必要がありました。
改正法の施行後は、押印要件が廃止される方向です。
ただし、ここで注意が必要です。
令和8年7月7日時点では、押印要件の廃止はまだ施行前です。したがって、今すぐ自筆証書遺言を作成する場合には、現行法に従い、押印をしておく必要があります。
「ニュースで押印が不要になると見たから、今から押印なしで作っても大丈夫」と考えるのは危険です。施行日前に作成する遺言書については、現行の方式を守る必要があります。
また、押印が不要になったとしても、自筆証書遺言の本文を自書する必要がなくなるわけではありません。自筆証書遺言は、あくまで自筆で作成する遺言です。パソコンで遺言書本文を作成できるようになるのは、保管証書遺言という新しい制度の話であり、自筆証書遺言そのものが完全にパソコン作成可能になるという意味ではありません。
この点は、今後かなり誤解が生じやすい部分です。
保管証書遺言のメリット
保管証書遺言が施行されると、次のようなメリットが期待されます。
1. 手書きの負担が軽くなる可能性がある
自筆証書遺言では、本文をすべて手書きする必要があります。財産が多い方や、長い内容の遺言を作成したい方にとって、これは大きな負担です。
特に、高齢の方、手が不自由な方、文字を書くことに不安がある方にとって、全文を手書きすることは簡単ではありません。
保管証書遺言では、電磁的記録等による作成が想定されているため、手書きの負担が軽くなる可能性があります。
2. 法務局で保管される
遺言書は、作成しただけでは十分とはいえません。相続開始後に発見されなければ、せっかくの遺言が使われない可能性があります。
法務局で保管される制度であれば、自宅保管に比べて、紛失、破棄、隠匿、改ざんのリスクを抑えやすくなります。
3. 遺言の存在を把握しやすくなる
自筆証書遺言を自宅で保管している場合、相続人が遺言書の存在を知らないまま相続手続を進めてしまうことがあります。
法務局が関与する制度では、遺言書の存在を確認する仕組みや通知制度との連携により、遺言書が見つからないリスクを下げることが期待されます。
4. 相続手続の円滑化につながる
遺言書があると、誰がどの財産を取得するのかが明確になりやすくなります。
特に、不動産がある場合、遺言書の内容が明確であれば、相続登記の手続も進めやすくなります。令和6年4月1日から相続登記が義務化されているため、遺言制度の整備は、相続登記の円滑化という点でも重要です。
保管証書遺言の注意点
保管証書遺言は便利な制度になることが期待されますが、注意点もあります。
1. まだ利用開始前である
最も重要なのは、令和8年7月7日時点では、保管証書遺言はまだ利用できないという点です。
改正法は成立・公布されていますが、実際の施行日は今後政令で定められます。法務局での具体的な手続、予約方法、必要書類、手数料、本人確認の方法なども、今後の詳細な運用を確認する必要があります。
現時点で遺言書を作成したい方は、現行制度である自筆証書遺言、公正証書遺言、自筆証書遺言書保管制度などを検討する必要があります。
2. 内容の適切さまでは自動的に保証されない
法務局が関与するからといって、遺言の内容が法律的に完全に問題ないと保証されるわけではありません。
これは現在の自筆証書遺言書保管制度でも同じです。法務局では、遺言書の形式について一定の確認は行われますが、遺言の内容が相続トラブルを防げるものか、遺留分に配慮されているか、相続登記に使いやすい記載になっているかまでは、個別に法律相談に応じてくれるわけではありません。
実際に、次のような内容の遺言は、後日のトラブルにつながりやすいです。
・「財産は長男に任せる」など、取得者や財産が不明確な遺言
・不動産の表示が曖昧な遺言
・預貯金の金融機関名や支店名が古いままの遺言
・遺留分への配慮がない遺言
・遺言執行者の指定がない遺言
・相続人が先に亡くなった場合の予備的条項がない遺言
・相続税や二次相続への配慮が不足している遺言
遺言書は「作ること」自体が目的ではありません。相続開始後に、残された家族が困らずに手続を進められる内容にしておくことが大切です。
3. 認知症対策としては早めの準備が必要
遺言を作成するには、遺言能力が必要です。
認知症になった後でも、必ず遺言が作れないわけではありませんが、判断能力に疑いがある状態で作成された遺言は、相続開始後に「本当に本人の意思だったのか」と争われる可能性があります。
保管証書遺言が便利な制度であっても、判断能力が低下してから慌てて作成するのではなく、元気なうちに準備しておくことが重要です。
今すぐ遺言を作るなら、どの方式を選ぶべきか
保管証書遺言は将来的に有力な選択肢になりますが、今すぐ遺言を作成する場合には、現行制度の中から選ぶ必要があります。
費用を抑えたい方
費用を抑えたい方には、自筆証書遺言が候補になります。
ただし、自宅保管では紛失や改ざんのリスクがあるため、法務局の自筆証書遺言書保管制度の利用を検討したほうがよいです。
自筆証書遺言書保管制度では、予約を取り、必要書類や本人確認書類を準備したうえで、本人が法務局に出向く必要があります。
遺言書の保管申請などは本人が自ら出頭して行う必要があります。
確実性を重視したい方
相続人同士の関係に不安がある場合、財産が多い場合、不動産が複数ある場合、再婚・前婚の子がいる場合、子どものいない夫婦の場合などは、公正証書遺言を検討をしたほうがよいです。
公正証書遺言は、公証人が関与するため、形式不備による無効リスクはほぼありませんし、原本が公証役場に保管されるので安心です。
不動産がある方
不動産がある方は、遺言書の記載に特に注意が必要です。
「自宅を妻に相続させる」と書くだけでも意味が通じる場合はありますが、相続登記で使うことを考えると、登記事項証明書に基づいて不動産を特定したほうがよいです。
不動産の表示が曖昧だと、相続登記の際に追加書類が必要になったり、遺言の解釈をめぐって相続人間で争いになったりする可能性があります。
遺言書を作成する場合、次のようなお悩みがよくあります。
・自宅不動産を誰に残すべきか迷っている
・子どもがいないため、配偶者に確実に財産を残したい
・兄弟姉妹や甥姪が相続人になる可能性がある
・相続人の一人と長年疎遠になっている
・長男夫婦と同居しているため、長男に家をまかせたいが、他の相続人とのバランスが心配
・空き家になる実家をどうするか決めておきたい
・相続登記まで見据えて遺言を作りたい
遺言書は、単に財産の分け方を書くものではありません。
残された家族が迷わず手続できるようにするための「道しるべ」です。とくに不動産がある場合は、相続登記、固定資産税、空き家管理、売却の可能性まで考えておく必要があります。
また、遺言書だけで解決できない問題もあります。たとえば、認知症になった後の財産管理、施設入所費用の支払い、不動産売却、身上保護などは、任意後見契約や家族信託、生前贈与などを組み合わせて検討した方がよい場合があります。
まとめ
保管証書遺言は、令和8年改正により創設される新しい遺言方式です。
電磁的記録等による作成と法務局での保管を組み合わせることで、これまでの自筆証書遺言の負担やリスクを軽減することが期待されています。
ただし、令和8年7月7日時点では、まだ制度は施行前です。
今すぐ遺言を作成する場合は、現行の自筆証書遺言、公正証書遺言、自筆証書遺言書保管制度などの中から、自分の状況に合った方法を選ぶ必要があります。
また、法務局で保管される制度であっても、遺言の内容が相続トラブルを防げるものかどうかは別問題です。
特に、不動産がある方、相続人の関係に不安がある方、子どものいないご夫婦、再婚家庭、相続人が多数いる方は、遺言書の作成前に専門家へ相談することをおすすめします。
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